妻の妊娠が分かったとき、正直なところ何も実感がわきませんでした。
うれしくなかったわけではありません。ただ、「自分が父親になる」という感覚が、どうしても出てこなかった。
お腹の中で育っているのは、妻の体の中の話です。つわりも、胎動も、体験しているのは妻のほう。こちらはずっと、外から見ているだけでした。
この記事では、その実感が、どう変わっていったかを時系列でまとめます。
今まさに「実感がわかない」と感じている方に、こういう変わり方をした人もいると知ってもらえたらと思います。
妊娠中:わかないまま、時間だけが過ぎた
出産が近づいても、実感はわきませんでした。
情報は集めていました。調べて、買うものを決めて、立ち会いの準備もして。やるべきことはやっているのに、気持ちが追いついてこない。
当時いちばん苦しかったのは、「実感がないこと」に対する罪悪感でした。
妻は毎日、自分の体で変化を感じている。それなのに自分は何も感じていない。父親として欠けているのではないか——そう思っていました。
おさがりを確認した日:それでも、まだ
妊娠後期、夫婦でおさがりの肌着や服を広げて確認しました。
小さな服が、目の前に並んでいる。これを着る人間が、もうすぐ来る。
……それでも、わきませんでした。
代わりに強く感じたのは、妻がここまで準備してくれていたことへの感謝でした。自分の感情より先に、相手への気持ちが動いた。今思えば、これも一歩だったのかもしれません。
収納を整えた日:少しだけ、近づいた
臨月のころ、家の収納を整理しました。
赤ちゃんのものを置く場所をつくるために、自分たちのものを動かす。ただの片付けです。
でも、このとき初めて少しだけ近づいた感じがありました。
家の中に、その子の場所ができたからです。
気持ちで実感しようとしてもダメだったのに、手を動かしたら少し動いた。これは、あとから振り返っても面白い出来事でした。
生まれた日:ようやく、わいた
2026年7月末、息子が生まれました。
立ち会って、産声を聞いて、へその緒を切りました。
そして、ここでようやく実感がわきました。
目の前に、本当にいる。泣いている。重さがある。想像ではなく、事実として存在している。
妊娠中あれだけ悩んでいたのが、少し馬鹿らしくなるくらい、あっさりと。
名前が決まった日:固有の存在になった
そのあと、名前が決まりました。
画数も五行も調べて、さんざん迷った末に決まった名前です。
名前がつくと、「赤ちゃん」が「その子」になります。呼べるようになる、というのは思ったより大きな変化でした。
生後2ヶ月半:視線が、返ってきた
そして最近のことです。
部屋を移動したら、視線がついてきました。
それまでの息子は、私にとって「守るべき存在」「お世話をする対象」でした。こちらが一方的に与える関係です。
それが、向こうから返ってきた。
そのとき思ったのが、「人になってきたな」でした。ひどい言い方ですが、正直にそう感じたので、そのまま書いています。
振り返って分かったこと
こうして並べてみると、はっきり見えてきたことがあります。
- 気持ちで実感しようとしても、わかなかった
- 動いたとき(収納・立ち会い)に、少しずつ動いた
- 生まれた日で終わりではなかった
- 実感は、そのあとも更新され続けている
妊娠中の私は、「生まれれば分かるだろう」と思っていました。そして実際、生まれたら分かりました。
でも、それで終わりではなかった。
名前が決まったとき、視線が返ってきたとき。そのたびに、また一段「父親になった」感覚があります。
父親になるというのは、一回きりの出来事ではありませんでした。少しずつ、何度も、なっていくものらしいです。
今、実感がわかない人へ
最後に、妊娠中の自分に言いたいことを書いておきます。
実感がわかないのは、おかしなことではありません。
体に起きていないことを、想像だけで感じ取るのは無理があります。それができないからといって、父親として欠けているわけではない。
そして、実感がなくてもできることは、たくさんあります。
調べる。準備する。家事を引き受ける。健診に付き添う。収納を整える。——私は全部、実感がないままやっていました。それでよかったと思っています。
気持ちが追いつくのを待つ必要はありません。手を動かしているうちに、だいたい追いついてきます。
※実感のわき方や時期は人それぞれです。ここに書いたのは、あくまでわが家の記録です。


